アマチュアエコノミストの
やぶにらみ経済時評
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米安諸色高にどう対処するか
財政・金融政策の限界効用逓減法則
アマチュアエコノミストの
やぶにらみ経済時評
* リベラルとコンサバティブのコアビタシオン 社会不安が雇用促進になる? ( 2005年4月25日 )
* ほりえもんモルモット論 出資者よりもその金を使う者の方が偉いのか? ( 2005年3月1日 )
徳川吉宗は堂島米会所、インタゲ派は予定通り?
享保年間、8代将軍徳川吉宗の時代、初めは米が高かったが、途中から米が安くなり、それでいながら諸物価は高くなるという「米安諸色高」の現象が起きた。
南町奉行大岡越前守大岡忠相は物価高騰に対して神経を使い、諸物価の値上げを抑えようとした。しかし、米安に対しては対策が打てなかった。
江戸時代は金・銀・銅の「三貨制度」と言われているが、実際は米も貨幣の役割を果たしていた。さて、その米、戦国時代は領主は年貢として集め、「城を造る。人足として作業に参加すれば米を与える」として、領主の城建設の資金として利用していた。
江戸時代に入り、戦国領主同士の戦いはなくなり、世の中は平和になった。領主が集めた米は、城建設には使われなくなった。
そこで、米は大坂に集められ、ここで米市場が開かれるようになった。この米の取引所を主宰したのが淀屋一門で、ここでは現物取引だけでなく、現代で言うところの「デリバティブ」である帳合い取引も行われていた。
しかし、帳合い取引を主宰した淀屋は贅沢三昧をしたために幕府に睨まれ財産を没収されたと伝えられている(淀屋の闕所)。
▲<淀屋辰五郎>▲
この大坂堂島での米帳合い取引は、現代の先物取引、日経225の取引の原型をなす、商品取引の形態としたは非常に進んだものだったが、将軍吉宗や大岡忠相はよく理解できてなかったようだ。
初めのうち、吉宗は帳合い取引が米を価格を引き上げるとして、淀屋を追放してから後、取引所設立を許可しなかったが、米が安くなると、ここを利用して米安状態を改善しようと考えた。
1730(享保15)年に堂島米会所設立を許可してから、幕府は度々市場に介入し、取引業者を通じて米買い占めを支持している。こうしたことにより米価格を上げられると考えていた。
自由な市場取引に介入して、商品価格を上下できる、と考えるのは市場の仕組みを十分理解できていないからなのだが、この誤りは現代でもある。平成不況のころ、年度末の株価が低いと銀行の含み資産が低くなるので、政府が介入して株価を上げるべきだ、と主張した国会議員がいた。
これを「PKO=Price Keepinng Operation」と呼んだ。
「米将軍」と言われた8代将軍徳川吉宗は、経済にそれほど明るかったわけではないが、それでもなんとかしようと努力したことは間違いない。
そして、その結果、大坂堂島米会所という世界に誇れる先物取引市場ができたのだから、それなりに高く評価しても良いだろう。
大岡忠相は江戸の諸物価対策に手を尽くし、結果はともかく庶民には「大岡忠相さまは物価対策に知恵を絞っている」と評判は良かった。これが、江戸時代の「米安諸色高」に対する対策であった。
<現代の「米安諸色高」対策はどうなっているのか?>
日本の食料自給率は、供給熱量ベース総合食料自給率40%であったが、この40%を割ることになった。
この問題を扱うマスコミは、「大変だ、大変だ」と言いながら、ではどうするかと言うと、「大規模農業にして米を安く生産しよう」という処へ結論を持っていこうとする。
しかし、食料自給率のうち、米は現在100%だ。このことは報道しない。今後いくら米を増産しても食料自給率向上には貢献しない。
農業問題は「自給率」「米安」「後継者不足」「遺伝子組み換え農作物」などの問題がごちゃごちゃになって議論されている。
「米安」に関して言えば、消費者の米離れが進んでいるのだから、今までと同じ生産量であれば、総需要不足、供給過多なのだから価格は低下するのが当然だ。
「減反」に対して政府の対策を批判する向きもあるが、基本的に米あまりなのだから、減反しなければ米は安くなる。これは当然のことだ。できることは、政府が備蓄米を必要以上に購入し、価格低下に歯止めかけることぐらいだ。
農水省はもっぱら自給率低下対策と地産地消推進に主力を注いでいるように見える。
吉宗は、経済問題をハッキリとは理解できていなかったにも拘わらず、それでも何とかしようと努力はした。現代の米安諸色高に対して政府はどのような対策を取るのだろうか?
吉宗以前の物価対策、豆腐屋への値下げ勧告
宝永3年(1706)5月、江戸市中の豆腐が馬鹿高値をつづけ、市民の問題となった。
江戸町奉行所は市内の豆腐屋全員を呼びだし「ここ数年来米価が上昇をつづけ、それにつれて他の諸色値段もあがった。幸いに昨今米価がだんだん下落しているのに、諸色値段のほうは高値のままで、いっこうに下がる気配を見せない。
とくに豆腐にいたっては、原料である大豆が一昨年には1両で8斗5升しか買えなかったのが、今年は1石2斗も買えるというように大幅安となっているのに、今以ていっこうに値下がりしないのはどういうわけか」とその説明を求めたのである。
素菓子納得のゆく説明がなかったので、江戸町奉行は豆腐の大幅値下げを命じた。多くの豆腐屋はしぶしぶ値下げに応じたが、7軒の豆腐屋は、なおも原料の苦汁(にがり)や油糟の値段が高いなどの理由を申し立てて、値下げに応じようとしなかった。
怒った町奉行はこの7軒の豆腐屋に営業停止の処分を申しわたした。これで、”豆腐高値一件”はともかく落着するのだが、この事件はいままでにみられなかった新しい物価問題が歴史に登場したことを示している。
<『大岡越前守忠相』から>
米価政策の結果
享保時代後半期の米価(引き上げ)政策は、かなり多彩なものであった。
たとえば、それまで米の実需用を増すといって、厳しい制限下においていた酒造を、今度は逆に奨励し、それまで設けていた酒の公定価格をやめて自由な価格で売れるようにし、酒屋で資金のないものは資本の融通をするから、酒造米を多量に買い取るよう勧めたりしている。
そして買米令を出して、幕府自ら大量の米を買い入れるとともに(このため幕府は米の買入資金として、加賀藩から15万両の借金をしている)諸大名のもその用意を命じている。
また大名たちのみならず、商人たちにも、なかば強制的に米の買入れをさせている。幕府は享保4年11月、今後は一切金銀の貸借・売掛金などについての訴訟を受理しないという”相対済し令”を出したのち、商人たちの強い撤回要求をはねのけて、それを守り続けていたが、
ついに同14年12月、買米資金の融通をつける必要から、これを撤回している。
さらに米価が安いのは、市場(大坂、江戸など)へ送り込まれる米の量が多すぎるためだとして、天領・私領ともに米を自領に留め置くようにという置米令を出すなどした。
享保の飢饉で一時急上昇して、それなりの解決をみるかにみえた米価も、それがすぎると、また安値に落ち込んで、享保20年(1735)10月には米の最低価格を設けて、なんとしても米価の下落を防ぐかまえを見せたが、
それも効果なく万策尽きたかたちで、元文元年(1736)、金銀の吹き替えがあるからという理由で、米価政策を打ち切っている。
米価に関する限り、さすがの”米将軍”吉宗も振り回されっぱなしであった。
<『大岡越前守忠相』から>
米価政策の結果
1723(享保8)年、幕府は江戸・大坂・京都の3奉行に対し、「米価が安くて、他の消費者物価が高いという状況を、どのように解決したらよいか」と諮問した。
これに対し、江戸町奉行大岡越前守は、同役の諏訪美濃守(すわみののかみ)と連名で、大要つぎのような「物価引き下げに関する意見書」を出した。
(イ) 近ごろ消費者物資が高値である原因の一つは、商人たちが少しでも多く利益を得ようと、いろいろ不正な操作をするためである。したがって、まずこのような不当な利潤を抑えれば良い。
それを実現する方法としては、取り扱い商品ごとに同業者の仲間組合を、それも問屋・小売といった流通の段階ごとにつくらせ、その仲間ごとに物価に対する責任をもたせて、たがいに監視させるようにする。
(ロ) 消費者物価が高いいま一つの原因は、商人たちが少しでも多くの商品を手に入れようと、生産者に注文するときの値段を争って吊り上げるためである。
したがって注文の窓口を一つにして、値段を引き上げないようにすれば良い。それには、先にいった仲間組合を利用し、仲間が決めた値段以外では、一切買わないような仕組みにすれば良い。
そうすれば、生産者はまだ力が弱く、自分で生産物を消費者に売る力がないから、商品の値段は仲間が一方的に安く買いたたくことができる。
(ハ) また、必要なときに適切な手が打てるよう、幕府は江戸と大坂の商品の動きや量を正確に知る必要がある。そのためには、全国で一番大きな市場である大坂での、商品荷物の移動調査をするとともに、江戸湾の入口の浦賀に番所をつくって、江戸に入る主な物資の調査をすべきである──。
要するに、それまでは、儲かりそうであれば、どんな商品にでも手を出すといった雑貨屋的な商人が普通であったのを、ひとり一商品といった専門店的な商業の仕方に切り換え、しかも同一商品を扱う商人でも、問屋・仲買・小売といった商品流通の段階ごとに業務分担をさせ、そのおのおのに仲間組合をつくらせて、物価を安定させようというのである。
この案は、一種の流通革命ともいうべき思い切った提案であったためか、「実施困難」という理由で、一度は却下された。
しかし他にこれといった名案もなかったらしく、結局幕府は、4か月のちの1724(享保9)年2月の「物価引き下げ令」に、この意見書を全面的に採用した。
以後、商業の組織化と、商人の仲間化とはどんどん進み、問屋・仲買・小売という形に整理され、そのいうえ同業組合で、これをかためた商品流通の仕組みが急速につくられていった。
<『徳川吉宗と江戸の改革』から>
なりふりをかまわぬ「米将軍」
江戸時代の米価が、前半期においてはたえず上昇を続けていたことは先に書いたが、経験的にこのことを知った商人が、これを見逃すはずはなかった。
買って持っておけば必ず儲かるのである。そのため、米が一番集まる大坂の商人たちも、ただ値上がりを待つためだけの買い置きに熱中するようになった。
このようにして出てきた仮需要は、また米価を引き上げる有力な原因となり、両者は悪循環を始めたのである。そこで幕府は、酒造量を減らすことで実需を減らすと共に、この仮需要をも減らそうとした。
このような商売を、幕府は「米の不実商(ふじつあきない)」と呼んで、繰り返し取り締まった。しかしいっこうに効果はなく、五代将軍綱吉の時代には最後の手段として、闕所(けっしょ)といって全財産を没収したうえ、本人を追放するという処罰さえするようになった。
1696(元禄9)年に闕所になった網干屋善左衛門や、1705(宝永2)年に闕所処令を受けた淀屋辰五郎などは、その代表的な例である。
吉宗が米価を引き上げるためにとったのは、ちょうどこれと反対の政策であった。1724(享保9)年、幕府は京・大坂の奉行に対して、「近頃米価が安すぎて、そのためかえって困っている人も多いので、従来米価引き下げ方策としてとってきた米の不実商の取り締まりを緩めるように」と命じた。
仮需要を増やすことで、米価を引き上げようとしたのである。この方針は、さらに推し進められ、1728(享保13)年には、米の延取引(のべとりひき)を、黙認ではなく公認し、さらに同15年には大坂の堂島に米市場を設立して、ここで米の延取引を行わせた。
また仮需要と同時に、米の実需用も増やす必要があるというので、従来続けてきた酒造制限をやめ、酒の公定価格もなくして、資金の足らない者には幕府でそれを貸すから、どんどん酒を造るようにと勧めた。
また幕府は、加賀藩から15万両の借金をして、みずから市中米を買い集めるとともに、諸大名にも、指示があれば米を買い入れられるよう用意することを命じた。
一方、商人たちに対しては、半ば強制的に米の買い入れをさせた。1729(享保14)年には相対済し令を撤廃したが、それも、商人たちに米を買わせる代償として、商人たちの希望も入れてやるというのが理由であった。
しかし、いくらこのような手を打っても、市場へ入ってくる米が多すぎては効果は少ないというので、天領・私領いずれも、生産地に米を蓄えることを命じる(置米令=おきまいれい)とともに、最大の消費地である江戸・大坂・京都に対して米をまわすことを制限(廻米令=かいまいれい)し、
さらに1735(享保20)年にひゃ公定価格を設けて米価を引き上げようとまでした。
このように米価引き上げのための吉宗の政策は、まったくなりふり構わずといったものであったので、世間ではかれのことを「米将軍」と呼ぶようになった。
<『徳川吉宗と江戸の改革』から>
<21世紀の政府は、米価引き上げのために何をするのか?>
吉宗も忠相もその他の幕臣も、米価と諸物価対策に手を焼いていた。
まだ、経済学という学問もない時代、結果は芳しいものではなかったが、努力していたのは間違いない。21世紀の政府はどうなのだろう?
備蓄米を増やすことによって実需を増やすことぐらいしか報道されていない。何をやっても効果のないことが分かっているからかも知れない。
だとすると、「自生的秩序」という言葉をよく理解しているのかも知れない。けれども、当局は説明責任は果たさなければならない。
伊藤隆敏著『インフレターゲッティング』
目次を見ると「インフレ・ターゲッティングとは何か」とあり、小見出しとして「金融政策の新しい枠組みである」「どこがすぐれているか」「インフレ・ターゲッティングの具体策」「海外先進国ではスタンダードな政策」
「インフレ・ターゲット政策はインフレ率引き上げにも有効か?」「数値目標はだれが決めるのか」「実体経済など諸要素を無視してよいわけではない」などが並ぶ。
先ず「金融政策の新しい枠組みである」から一部引用しよう。この本は2000年11月20日初版発行。
物価安定が目的 インフレ・ターゲッティングとは何でしょうか。簡単に言えば、年間の物価上昇率を「1パーセントから3パーセントの範囲内」といった数値目標として定め、中央銀行は、その目標を達成するように金融政策を行うと宣言することです。
インフレ・ターゲッティングというネーミングがどうもよくないのではないかと言われます。「インフレ」という言葉には、オイルショックの時代に起きた「狂乱物価」など物の値段が暴騰するというようなマイナスのイメージがあるからです。後で詳しく説明しますが、インフレ・ターゲッティングとは、物価上昇率を「物価安定」と整合的な範囲内にコントロールすることであり、
物価を急上昇させる政策や、インフレ率が高ければよいという政策ではありません。ですから、本書では、無用の誤解を避けるためにもインフレ・ターゲッティングのことを「物価安定数値目標政策」と言い換えたいと思います。
ただ、欧米の文献では、「インフレ・ターゲッティング」「インフレ・ターゲット」という言葉で一般化し、研究も進んでいます。ネーミングだけの問題ですので、本書では「インフレ・ターゲッティング」と「数値安定数値目標政策」の両方の言葉を使いますが、同じ意味であるということをご諒解ください。(中略)
インフレ・ターゲッティングの具体策 それでは、日本銀行が実際に物価安定数値目標政策を導入することになったとしたら、どういう宣言が必要になるか、どういうことを発表していくかについて具体例をあげながら説明しましょう。
まず日本銀行が、たとえば「2年後に消費者物価指数(除く、生鮮食品)のインフレ率を1〜3パーセントの範囲にするということを目標に、金融政策を運営します」ということを宣言すれば、これは物価安定数値目標政策の発動ということになります。
@この「消費者物価指数(除く、生鮮食品)」が目標として取り上げる適切な物価指数であるのかどうか、Aその数値を「1〜3パーセント」と設定するとはどういうことなのか、B期間を「2年後」とすることにどういう意味があるのかということについて、順に説明しましょう。
次ぎに「インフレを起こすことはできるのか」から一部引用しよう。
インフレは必ず起こせる まず、「物価安定数値目標はたしかに好ましいし、デフレを止めるのもよいことだ。しかし、その手段がないじゃないか」という意見があります。すでに利子率(名目の利子率)はゼロになっていて、これ異常金利を下げられない状況です。そういうなかで、どうしたらデフレを止めることができるかという批判があるかもしれません。
これに対する答えは、「インフレは必ず起こすことができる」ということです。(T注 「馬に水を飲ませることが出来る」と言っている。そうであるならば、「長期不況ということは今後起こらない」、「景気循環はなくなる」と言っているに等しい。)
近代以降の日本、そして世界を見渡すと、これまでの政府や中央銀行にとっては、むしろインフレを止めることが非常に大きな課題でした。デフレを止めるということはほとんど経験がなかったわけですが、インフレは、金融政策を運営する限り必ず起こすことができます。むしろ、これまでのインフレの環境下では、やっていけないと言われていた、「不適切」と呼ばれるような政策を金融当局が行えばよいのです。
たとえば、大量の量的緩和や、長期債の買い切りオペの増額、さらに株式の購入などです。ただしアメリカの著名な経済学者であるポール・クルーグマンは、ある論文のなかで、このような政策のことを指して、日本銀行は、「無責任な政策」をとるべきだ、と言ったのですが、このような言い方は、世間に誤解を与えてしまったようです。
インフレをどうやって起こすのか 現在のマネーマーケットの状況をみると、いまは短期の名目利子率がゼロになっていて、しかも「積みの余剰」と呼ばれるダブついた資金が、日本銀行に預け戻されているという状況になっています。
そういった特殊な状況の中でデフレを阻止する、つまり日本銀行がこれ以上さらにお金を市場に供給するにはどうしたらいいかという、技術的な議論になってきます。
私の提案では、日本銀行は、まず長期国債の買い増しをすべきです。これまでも日本銀行は長期国債を毎月ある一定額買ってきているわけですが、これの購入の額を増額する。よりたくさんの長期国債をマーケットから買っていくということが考えられます。
(T注 ではいくらにすればいいのか?具体的な数字がない。この本が出版された時点では、月額4,000億円の買い切りオペ、現在はその3倍の1兆2,000億円)
この場合、注意が必要なのは、長期債を買うといった場合も、流通市場で買うのが原則で、財政法で禁じられている「国債をそのまま日本銀行に引受させる」ということは、好ましくないということです。これは、市場から買い入れることで、これを後に売却することも容易になります。
政府発行のものを「引き受ける」ということは、価格づけの考証から行わなくてはいけないので、政府が、財政規律を失わせる可能性があるからです。
(T注 「買い切りオペ」ではなく「買いオペ」を想定している。「買いオペ」=「テンポラリー供給オペ」とは短期買い現先オペ、レポオペ、手形買いオペ、CPオペなど期日が来る供給オペのこと。「買い切りオペ」=「アウトライトオペ」とは、短期国債買い切りオペか中長期債買い切りオペのこと。つまり将来日銀は国債の売りオペを行うと考えているようだ。将来売りオペを行えばマネーサプライが減少しデフレになる。)
日本銀行が長期債を買い上げることによって多くの現金が市中に流れるわけですから、これまで長期国債を持っていた人たちが現金を手にすることになります。そうなると彼らは何か別のものを買うことになります。それは株式の購入に向かうかもしれないし、外貨預金に回るかもしれません。「今よりもう少しリスクをとっていいかな」というふうに考えるようになるだろうというのが、一つのロジックです。
株式を購入すれば、株価が上昇し資産効果によって景気はよくなります。外貨を購入すれば、円安となり輸出産業を中心に景気回復に向かいます。あるいは、消費財や投資財を買うかもしれない。その場合には直接、景気を狙撃することになります。どのようなチャンネルにしろ、景気がよくなり、デフレが止まります。
(T注 この説明は日銀の説明とまったく同じ。国債を売って儲けた人は、柳の下のドジョウを狙って、また国債を買う。これが賢い資金運用方法。)
(『インフレターゲッティング』から)
岩田規久男編『まずデフレをとめよ』
岩田規久男編『まずデフレをとめよ』では多数のエコノミストが執筆している。それは次の人たち、岩田規久男・安達誠司・岡田靖・高橋洋一・野口旭・若田部昌澄。まえがきに次のようにある。
本書は、分担執筆であり各章の最終的責任は各執筆者に属する。しかし、その内容は個々の執筆者の意見表明ではない(所属する機関の意見を反映したものでもまったくない)。
もとよりすべての論点で私たちの意見が同じわけではないが、本書は度重なる研究会や電子メールで頻繁に議論を交わした成果であり、他のメンバーの研究成果を相互に取り入れて執筆した、真の意味での協同作業の結果である。
本の題名からしてインタゲ派であることが解る。では具体的に何を主張しているのか?TANAKAが読んで感じたポイントを引用しよう。この本は2003年2月10日初版発行。
インフレ目標を設定せよ
ここ数年の物価下落率は、消費者物価でみて1%程度である。しかし、白塚によれば、消費者物価指数は実際よりも1%程度高くな性質があるから、実際の物価下落率は2%程度になると考えられる。
最近10年ほどの世界各国の経験によれば、消費者物価指数の上方への偏りを除去する前の物価上昇率が、安定期に2〜3%の国は、経済パフォーマンスがきわめて良好である。この経験から判断すると、日本の物価上昇率は望ましい水準よりも3〜4%も低いことになる。つまり、望ましい物価上昇率がゼロであれば、1%のデフレはたいしたことはないと思われるかも知れないが、
2〜3%が望ましい上昇率であるとせれば、1%のデフレは経済が巡航速度で進ためには大きな障害になる。
しかも、このデフレに激しい資産デフレが加わっている。資産デフレによって各経済主体のバランスシートが悪化すれば、各経済主体はバランスシートを改善しようとして、貯蓄に励み、リスクのある資産の獲得や設備投資を控えるようになる。そうした行動がさらにデフレを加速する。
そこで、なんとしてもデフレから脱却することが不可欠になる。デフレからの脱却については、財政支出を民間投資誘発型にする政策も一定の効果を持つが、
(T注 ここでは財政政策の効果を認めている)根本的な政策ははじめに述べたような金融政策のレジーム転換である。
そのようなレジーム転換を図るためには、まず、金融政策の目標としてインフレ目標を設定することが必要である。インフレ目標を採用している国は、1〜3%の間にインフレ目標を設定し、実際の物価上昇率を、2.5%程度に維持しながら、日本よりも高い2〜4%程度の実質経済成長を長期的に維持してきた。
この日本と比べた経験は、デフレ下では、すでに述べたような様々な解決困難な問題が発生し、産業構造調整も進まないが、マイルドなインフレであれば、そうした難問に遭遇することなく、産業構造調整もスムーズに進ことを示している。
そこでまず、インフレ目標の下限を1%、上限を3%程度に設定する。しかし、インフレ目標を設定しても、いつまでに達成するかを明示しなくては、誰も金融政策を信用しない。過去の歴史的事例をみると、金融政策をはっきりとリフレ政策にレジーム転換すれば、1年以内にデフレから脱却できると考えられる。
したがって、日銀は1年以内(長くても2年以内)にインフレ目標を達成すると宣言し、そのためには、できることはなんでもやるという姿勢、すなわち、インフレ目標への強いコミットメントを鮮明にする必要がある。
長期国債買いオペを大増額せよ
これまで日銀は、長期国債の買いオペ額は月額8000億円に制限するとか、日銀が保有する国債の残高を日銀見の発行残高に抑えるといった制限を設けてきた。そのような制約はすべて取り払うことが必要である。
長期国債を買っていく、あるいは、ドル建て債を同時に定期的に買うことも、早期に円安を誘導し、デフレを脱却する上で有効であり、考慮に値する。
(T注 制約を取り払っていくらにするのか?)
この政策では、銀行が発行市場や流通市場から長期国債を購入し、その国債を日銀が購入するということが、大量に繰り返される。銀行が市中から長期国債を買うときには、銀行は購入先の預金口座の預金を長期国債代金だけ増やすことによって支払うから、預金(マネー)が市場に大量に出回ることになる。
日銀は、マネーはすでにじゃぶじゃぶだと主張してきたが、企業と家計はそうしたじゃぶじゃぶのマネーを飲み込んだ上で、なおも、現金や預金の保有を増やし続けている。それは、人々や企業の間にデフレ予想がすっかり根を下ろしてしまい、マネーを持っていればデフレ分だけ利子がつくと思っているからである。
このような状況で、デフレから脱却してマイルドなインフレに移行するには、まず、日銀がインフレ目標の実現に強くコミットした上で、大量のマネー需要を飲み込む以上に、マネーを供給し続けることが必要である。そのことによってはじめてデフレが終息し、インフレ予想も形成されるようになる。
デフレは「貨幣的現象」であり「実物的現象」ではない
デフレーションとは、いうまでもなく、一般物価の下落である。逆にいえば、財貨サービスに対する貨幣の価値の上昇である。バブル崩壊後の日本経済では、消費者物価指数、卸売物価指数、GDPデフレーターの上昇率が低下し続け、卸売物価上昇率は91年末から、GDPデフレーターの上昇率は94年後半から、
消費者物価上昇率は98年後半から、ほぼ恒常的にマイナスに転じた。まさに、デフレである。
奇妙なことに、この日本のデフレーション=貨幣価値の上昇について、一部の論者は「実物的現象であって貨幣的な現象ではない」という主張を行っている。たとえば、元日銀副総裁の福井俊彦氏(T注 現日銀総裁)は、「いまのデフレは、単なる貨幣的な現象を超えた根深いものだ。
国債競争の激化により、物価は世界的に下がっており、円高が加わる日本では高コスト構造の是正や産業の整理が避けられない。だから金融政策だけでデフレが解消できると考えるのは間違いだ」と述べている。また、野口悠紀雄氏も、「物価下落が生じている基本的な原因は、中国の工業化などのリアルなものだ。こうした問題を金融政策で解決することはできない」と主張している。
このような主張の当否を明らかにするためには、まず、名目と実質、あるいは貨幣と実物という区別の意味を明確にしておく必要がある。貨幣とは本来、経済循環を媒介する標章にすぎない。経済活動の実体=「実物」とは、生産や消費および投資の直接の対象である財貨や」サービスにある。
名目と実質、貨幣と実物という区分は、インフレやデフレのような貨幣的な変化を、財貨サービスの生産増大や相対価格変化のような実体経済そのものの変化と区別するためのものである。したがって、「実物的なデフレ」といったものは、そもそも概念として成立しないのである。
にもかかわらず、一部の論者が「貨幣的な出樹売れ、実物的なデフレ」なる珍妙な区別を持ち出すのはなぜなのだろうか。それはおそらく、「貨幣の長期的中立性、短期的非中立性」という考え方を誤解しているためと思われる。つまり、なぜかこれを誤って「デフレは長期においては貨幣的現象だが、短期では実物的現象だ」というように考えてしまっているのである。
しかし、「貨幣の長期的中立性、短期的非中立性」が意味するのは、「貨幣は長期には実物経済に影響を与えないが、短期では影響を与える」ということである。つまりそれは、長期にせよ短期にせよ、「実物的なデフレ」なるものとは、まったく無関係なのである。
(『まずデフレをとめよ』から)(T注 これを簡単に言えば「インフレはいつ、いかなる場合も貨幣的現象である」となる。あるいはルートヴィヒ・フォン・ミーゼスの喩えも分かりやすい)
<新保庄二著『新しい日本経済講義』効果低下と効果ゼロとは大違い──マネタリーベース増の効果
量的緩和の効果を巡っては意見が大きく分かれているのが実状です。過去においてはマネタリーベース増加率とマネーサプライ増加率の関係は密接でした。ところが、バブル崩壊後この関係が乱れてきています。
90年代に入ってからマネーサプライ増加率がマネタリーベース増加率を下回る傾向が見られます。言い換えれば、貨幣乗数(=マネーサプライ/マネタリーベース)の低下傾向が見られるということです。とくに日銀は2001年春先から「量的緩和政策への転換」を表明し、現実にもマネタリーベースの増加率を大きく高めてきていますが、それに見合ってマネーサプライ増加率が高まっていません。
このようにマネタリーベース増加率とマネーサプライ増加率の関係が変わってきたのは事実ですが、その程度をしっかり把握する必要があります。というのは、関係が全くなくなったのであれば、マネタリーベースを増やす政策をやる必要はありません。しかし、関係が弱くなっただけであれば、マネタリーベースを強力に増やす必要があるからです。その点を調べてみましょう。
ここからは、ややめんどうな式や計算がでてきますが、決して難しいわけではありません。189ページまでは、実際に貨幣乗数が低下していることを理論的・実証的に確かめる作業です。(中略)
このことは、近年においてもその影響力は小さくなったものの、依然マネタリーベースを増やせばマネーサプライが増えるという関係がが損さしているということを示しています。
つまり、マネタリーベース増加率がマネーを増やす効果が小さくなったというのは事実ですが、ゼロになったということではないということです。このことは重要です。効果がゼロになったのなら、量的緩和という政策は取る意味がありません。しかし、底効果が小さくなったということであれば、全く話は別です。より思い切って量的緩和をすすめるべきだという結論になるからです。
(『新しい日本経済講義』から)(T注 上にも書いたが、銀行貸出が増加し(原因)、マネーサプライが増加したことによって、準備金が増加し、日本銀行当座預金残高が増加し(結果)、マネタリーベースが増加するのだが、この本の著者の論理では、「マネタリーベースが増加すると(原因)、マネーサプライが増加する(結果)」と因果関係が逆になってしまう。
マネタリーベースは銀行貸出(信用創造)によって必要となった分だけ伸びてきた。それが量的緩和政策によって必要とする以上に積み上がってきた。この因果関係を理解すれば貨幣乗数の低下は簡単に理解できるはずだ。)
日銀あるいは政府、あるいは両者が、ゼロ%よりも上のインフレ・ターゲットを設定すべきだと主張する人が多い。現状では要するに日銀に対する”嫌がらせ”のようなものである、と私にはみえる。
それは、現状では政府あるいは首相に、1%、あるいは2%以上の「経済成長率ターゲット」を設けよ、という主張と同じようなものである。
いずれもできそうもないからである。ターゲットを設けても守らなくても構わないのであれば何のことはないが、インフレ・ターゲット論者は、ターゲットを設けて「達成できなかったときには責任をとれ」と、身構えてターゲット論を主張しているわけである。
金融政策に携わる人々は、インフレ率をゼロ以上にしたいと思い、政府の経済政策に携わる責任者達は成長率を少なくともプラスに、できれば2%か3%にしたいと思っているに違いない。
しかしそのための方法がないのが現状である。そういう現状でゼロ以上のインフレ・ターゲットを設定せよというのは、要するに金融政策を担当する日銀に対する”嫌がらせ”に過ぎない。
インフレ・ターゲットをゼロ以上にせよと言っている人が提案している金融政策の具体案も、説得力のあるものではない。
(『金融政策論議の争点』から)
日銀にインフレ・ターゲットの設定を求める声が高いが、現在の日本では、それは総理大臣に「経済成長率ターゲット」の設定を求めるのと同様に、一種の「嫌がらせ」に過ぎない。
物価上昇率をプラスにすること、実質成長率をせめて2%くらいにすることが望ましいことは、誰も百も承知のことだが、そのための手段がなかなか見つからないのが現状である。
(『金融政策論議の争点』から)
<小宮隆太郎=量的緩和策は「隠れた補助金」>
日銀の中長期国際買入れオペに「札割れ」がなく、応札倍率が結構高いのは、応札したものが落札すれば一般の流通市場で国債を売却するよりも有利だからで、そこに応札者にとって「妙味」があるからではなかろうか。現先取引等について「札割れ」が頻発するのは、日銀が「量的緩和」政策で余剰のリザーブを遮二無二供給しようとするときに、現先取引のような短期資金の貸借取引には、そのような「妙味」がないからであろう。
そして短期国債の買い切りオペは、両者の中間なのであろう、と推測する。
以上のことから私が理解したもう一つのことは、現在の日本の短期金融市場の仕組みでは、長期国債の買い切りオペの金融政策上のメリットは、それによって差し当たり確実にリザーブが供給できる、ということであろう。
つまり長期国債の買い切りオペは少なくともこれまでのところ、1回も「札割れ」を起こしていない。これに対して短期の現先等による資金供給(オペ)は、頻繁に「札割れ」を起こしている。また短期のオペでは、満期がすぐに到来するから繰り返し頻繁にオペを実施しなければならず、その事務量が多大になり、日銀側にとっても民間の銀行・証券会社の側にとっても煩雑である、という問題もあるらしい。ただし、後者の場合「札割れ」の頻発は、一つには前者によって民間銀行の必要とするリザーブが供給されてしまうからであろう。
そして日銀が目指す「超過準備」の額があまり大きくなると、やがては長期債オペについても「札割れ」が生じるようになるかもしれない。
もしいま述べた推測が正しいとすれば、「量的緩和」政策のもとで巨額の「超過準備」の供給・維持は、前記の応札者にとっての「妙味」、つまり一種の「隠れた補助金」(implicit subsidies)によって支えられているものである、と解釈される。もしそうであれば、それは有意義な「補助金」なのか、ということが問われるだろう。
(『金融政策論議の争点』から)
デフレに慣れていて物価上昇にマスコミは驚いているようだ。けれども、インタゲ派の主張は「デフレは良くない、マイルドなインフレが望ましい」とのことだ。それならば、最近の諸色高はインタゲ派の主張する状況と言えそうだ。
その割にインタゲ派の声が聞こえて来ない。「われわれの主張するインフレ状況になった。これでデフレが解消し、経済が健全な状態になった」との声が聞こえてこない。
インフレ・ターゲットを主張した人たちは「物価上昇は良いことです。これで日本は不況から脱したということです」と説明しなければならない。
日銀を批判するだけ批判して、自分たちの主張するインフレになったときに、何も説明責任を果たさない。これでは、単なる経済問題の野次馬でしかない。
住専問題のときも、政府の住専処理策を批判した人たちがいた。TANAKAが▲<住専処理に税金投入は当然>▲を書いた当時、
日本のテレビ・新聞・雑誌などのマスコミは「住専処理に税金を使うな」との一大キャンペーン中でした。あのキャンペーンに参加したジャーナリスト・評論家・エコノミストはその後どうしているのでしょう?「農協の一つや二つ破綻してでも裁判で決めるべきだった」、「たとえ株主訴訟を起こされても、母体行が負担すべきだった」、「不良債権は増えるかもしれないが、ことを荒立たせないために問題を先送りすべきだった」と言っているのでしょうか?
解説者・評論家・予想屋・占師・傍観者に徹して自分の立場を明確にしなかった人はなんと言っているのでしょうか?
同じように、日本がコメ不況で外国から米を輸入したとき
▲「タイ米を買うことは、タイに迷惑だ」▲と主張した人たち。
その後、どのように考えているのでしょうか?
インフレ・ターゲット論者に関しては、次を参照のこと。
▲<参考文献・引用文献>▲
<マイルドな物価上昇は健全な経済の証>
インフレターゲット論は日銀に対する”嫌がらせだ”と言い切った小宮隆太郎だが、
「物価上昇率をプラスにすること、実質成長率をせめて2%くらいにすることが望ましいことは、誰も百も承知のことだが、そのための手段がなかなか見つからないのが現状である」と言っている。
原油高から始まった最近の物価上昇、それぞれいくつか原因は違うが、生活密着用品が値上げしている。幸いマスコミはヒステリックにはなっていない。
けれども経済学者は黙っている。「これは健全な経済状況です」と解説しなければならない学者が黙っている。
普通に考えると、経済が成長し、それによって物価が上昇することは健全だと言える。今回のような状況、つまり、物価上昇から始まり経済が成長するようなる状況も容認すべきだと思う。
ただ、マイルドなインフレは価格を上げることのできる業界・企業とできない業界・企業で利益に差が生じる。結果平等主義者の批判する「格差」が生じることは認めなければならない。
格差が生じることによって、生産性の低い業界・企業が以上から撤退していくことによって、経済全体の生産性が向上する。
冷たい言い方だが、「経済が成長すると言うことは、生産性の低い部門が撤退していくことでもある」と言える。
「やぶにらみ経済時評」とのタイトルではじめたホームページ、あれだけ強力に「インフレ・ターゲット」を主張していた学者が黙っていると、かえってハッキリ言わなければならない、と思うようになった。
『大岡越前守忠相』 大石慎三郎 岩波新書 1974. 4. 2
『徳川吉宗と江戸の改革』 大石慎三郎 講談社学術文庫 1995. 9.10
『大岡忠相』 大石学 吉川弘文館 2006.12.20
『インフレ・ターゲッティング』物価安定数値目標政策 伊藤隆敏 日本経済新聞社 2000.11.20
『まずデフレをとめよ』 安達誠司・岡田靖・高橋洋一・野口旭・若田部昌澄著・岩田規久男編 日本経済新聞社 2003. 2.10
『新しい日本経済講義』社会人講座 エッセンスだけをわかりやすく 新保生二 日本経済新聞社 2004. 1. 5
『金融政策論議の争点』 小宮隆太郎・吉川洋・岩田一政・岩田規久男・香西泰・新保生二他 日本経済新聞社 2002. 7. 8
発展途上から、ゆたかな社会の経済学へ
景気が悪くなると産業界から財政政策を要望する声が大きくなる。具体的に何を要求しているかと言うと、「政府は国債を発行して、それを財源にして公共事業を行え」との要求だ。
その根拠とは「景気が悪いと言うことは、総需要が足りないのだから、政府は赤字国債を発行してでも政府支出を増やし、景気を刺激せよ」ということだ。
こうした政策を「ケインズ政策」と言う。政府が財政支出を増やす方法は他にもある。国債を日銀引受とする方法。ただしこれは財政法第5条で禁じられている。
理由は、日銀がいったん国債の引受けによって政府への資金供与を始めると、その国の政府の財政節度を失わせ、ひいては中央銀行通貨の増発に歯止めが掛らなくなり、悪性のインフレーションを引き起こすおそれがあるからだ。
そうなると、日本の通貨や経済運営そのものに対する国内外からの信頼も失われてしまう。
これは長い歴史から得られた貴重な経験であり、わが国だけでなく先進各国で中央銀行による国債引受けが制度的に禁止されているのもこのためだ(これを「国債の市中消化の原則」と言う)。
財政法第5条:
すべて、公債の発行については、日本銀行にこれを引き受けさせ、又、借入金の借入については、日本銀行からこれを借り入れてはならない。但し、特別の事由がある場合において、国会の議決を経た金額の範囲内では、この限りでない。
この日銀引受よりも、もっと節度のないのは、政府が勝手に通貨を発行してしまうことだ。日銀引受でも、いずれは国債を償還しなければならない。ところがこの方法は国債を償還しない。
江戸時代の金貨改鋳がこれに当たる。
さて、この国債の市中消化が本当に景気刺激策になるのだろうか?国債を発行するということは、国債を売って市中から通貨を減らすことになる。つまり通貨を民間が使うか?政府が使うか?の違い程度でしかないだろう、となる。
これに関しては▲「日本版財政赤字の政治経済学」▲で書いた。ここでは違った面から考えることにしよう。
<インフラが整備されると、経済が刺激される>
戦争直後、日本の道路は未舗装部分が多く、物流のトラックはガタガタ道を走らなければならなかった。
日本列島の主要道路である国道1号線でさえ未舗装であった。この未舗装の道路を、国債を発行したのを財源にして舗装すれば、物流システムは元気になる。トラック輸送が活発になれば経済を刺激する。
上下水道にしてもそうだ、自治体が債権を発行し、それを財源に上下水道を整備すれば、住宅地として高く売れる。宅地が造成されれば町が活性化する。
東名道路が開通し、東海道新幹線が走り始めた頃に、公共事業の景気刺激効果が薄れてきた。日本のインフラがビールをいっぱい飲んで、有り難みが薄れ始めた頃だった。
これはマクロ経済的にみた公共事業であったが、財界には違った見方があった。貨幣を民間が使えば何に使うかは予想できない。政府が使えば、何に使うかを指定できる。
ゼネコンを窓口に通貨をばらまき、特定の業界を支援し、経済を刺激することができると考えた。つまり、市場に訴えずに需要を伸ばすことができる。レント・シーキングが始まった。
こうして、経済刺激効果は少なくなったが公共事業に対する期待は減らなかった。このため、国債を発行しての経済刺激効果についての否定的な経済学者の主張はあまり聞かれない。
<ゆたかになってビールがいっぱい飲めるようになった>
国債を発行して、それを財源に公共投資を行うと景気が刺激される。その効果が薄れてきたということは、日本がゆたかになってインフラ整備の限界効用が低下したわけだ。
これをビールに例えると、1杯飲んで、もう1杯飲んで、その内に十分飲んで、ビールのうま味効果が薄れていた、ということは、日本がそれだけゆたかになった、ということだ。
それに気が付かず、何時までも公共都市が景気刺激策であると錯覚していると、財政赤字が大きくなり、国債償還残が大きくなる。国の借金が膨らみ財政不安が高まる。
これは、日本がゆたかになったことに気がつかないからだ。
金融問題では、信用創造メカニズム(トランスミッション・メカニズム)を問題にしてみよう。
銀行は企業や一般市民などから預金を受け入れ、その資金を誰かに貸し出す。
その過程で信用創造は発生する。そのプロセスは次の通り。
A銀行は、X社から預金1000万円を預かる。
A銀行は、1000万円のうち900万円をY社に貸し出す。
Y社は、Z社に対して、900万円の支払いをする。
Z社は、900万円をB銀行に預ける。
この結果、預金の総額は1900万円となる。もともと1000万円しかなかった貨幣が1900万円になったのは、Y社が900万円の債務を負い返済を約束することで900万円分の信用貨幣が発生したことになるからだ。
この900万円の信用貨幣(預金)は返済によって消滅するまでは通貨(支払手段)としても機能する。このことはマネーサプライ(現金+預金)の増加を意味する。
さらに、この後B銀行が貸出を行うことで、この仕組みが順次繰り返され、貨幣は増加していく。
このように、貸出と預金を行う銀行業務により、経済に存在する貨幣は増加する。(『ウィキペディア(Wikipedia)』から)
これは1つのモデルとしては理解できるが、実際は違う。A銀行はX社から預金1000万円を預からなくても、900万円をY社に貸し出すことができる。
A銀行がX社から預金1000万円を預かることによる、日銀当預への準備金は1000万円の1.3%を翌月の15日までに入金することだ。
それも、1000万円が1か月ずうっと預金されていた場合のことで、X社が半月後に1000万円を引き出した場合は1.3%の半分、1000X0.013X0.5=13 つまり13万円でしかない。
銀行が預金を受け入れて、それに対する日銀への準備金とはこの程度でしかない。従って銀行は何時でも、いくらでも貸し出すことができる。現代では、貸出総額は銀行の預金高ではなくて、企業や住宅ローンなどの需要に左右される。
セイの法則というのがあって、これは「供給はそれ自身の需要を創造する」と要約される経済学の法則だ。これは「消費量は生産量に影響される」と言い替えられる。
これに対してジョン・メイナード・ケインズによる有効需要の原理がある。これは「消費量は総需要に影響される」と表現される。
信用創造メカニズムとは、セイの法則の考え方で、現実は、ケインズの考え方である「総需要に影響される」ということになっている。
銀行がいくら預金を集めても、企業に借り入れ意欲がなければ銀行貸出は増えない。「銀行貸出」と表現するから、銀行側の事情ばかりを問題にするが、「企業借り入れ」と表現すれば、このことは理解できるだろう。
日銀は2001年3月19日から2006年3月9日まで量的緩和政策と呼ばれる金融政策を行っていた。これは、銀行に十分は資金を提供することによって、銀行貸出が増え景気が上向きになるだろうとの期待による政策だった。
しかし、結果はそうならなかった。日銀は買いオペを積極的に進め、ベースマネーは十分に増えたが、マネー・サプライは思い通りには増えなかった。
インタゲ派が期待したのは、日銀の買いオペによりベースマネーが増え、信用創造メカニズムにより銀行貸出が増加し、貨幣数量説通りに景気が上向くだろうとの期待だった。
このことに関しては▲<<「ベースマネーの増減により、マネーサプライが増減する」という神話>>▲を参照のこと。
日本の銀行が貸し出しをしたいけれども資金がない、預金を沢山集めようと必死になっていたのは戦後しばらく間であった。
その当時の銀行の預金集めの苦労に関しては▲<<旺盛な借入意欲に対する資金不足>>▲を参照のこと。
このインフレを抑えるためにドッジ・ラインと呼ばれる政策が実行された。これはGHQ経済顧問として来日したデトロイト銀行頭取のジョゼフ・ドッジが立案・勧告したもので、傾斜生産方式によるインフレを抑える政策であった。
これにより、日本はマルクス経済学による、政府主導の経済政策から民間重視の市場経済に移行していった。これが1949年3月7日のこと。
ジョゼフ・ドッジは日本経済建て直し、として知られているが、戦後復興経済に関してはドイツでも大きな仕事をしている。
ドッジは軍政長官ルシアス・クレイ将軍の経済顧問代理となり、デフレ的な通貨供給量削減を計画した。エアハルトは著書(『ドイツ経済の奇跡』有沢広巳訳 1954.2.15 時事通信社)でこの1948年の通貨改革を高く評価している。
ドッジはその後マーシャル・プランの基金を扱う経済協力局(ECA)に対して財政・金融問題を諮問する委員会の委員にもなり、ヨーロッパ経済復興に貢献した。
日本では、ドッジライン以後政府主導の経済成長から、子供が大人になく過程で経験するような「成長痛」を味わいながらも、資本主義的成長を遂げた。それは奇跡とも言われたドイツ経済に比べても遜色のない成長であった。
そして、その成長過程では「官に逆らった経営者」の存在を無視することができない。「日本株式会社」という表現とは違った経済成長のあり方であった。
<国民所得の年平均成長率> 単位%
1950〜59
1960〜73
1973〜79
1979〜85
フランス
4.6
5.5
3.2
1.2
西ドイツ
8.6
4.8
2.6
1.3
アメリカ
3.5
3.9
3.0
1.8
イタリア
5.4
5.1
2.9
1.3
イギリス
3.0
3.2
1.8
1.0
日本
9.5
10.5
4.0
4.1
ドイツ経済を少し知ると、日本経済に対する見方も少し変わってくる。日本経済は朝鮮動乱で大きく成長した。
日本はある意味で幸せだった、と。けれども、朝鮮動乱はドイツにも大きな影響を与えた。ドイツも朝鮮動乱で経済を活気づけることになった。
日本でのドッジラインについては、賛否両論があるようだが、ドッジはドイツの通貨改革にも関係している。
ドイツは、1948年の通貨改革によりライヒスマルクがドイツマルクに変わったことにより、インフレを脱し、その後の経済成長を促した。
日本では、ドッジライン以後、経済安定本部が解散し、マルクス経済学の影響がなくなり、アメリカ流の市場経済になった。
ドイツは、通貨改革後もエアハルトの社会的市場経済が政策の中心となり、日本よりも社会主義的色彩の強い経済政策が実行されることになった。
つまり、ドッジの通貨改革により、日本ではマルクス経済学の影響が薄れ、ドイツでは新たな社会主義的経済思想が支配することになった。
これによって「戦後復興政策 ヨーロッパ 西も東も社会主義」ということになったのだった。
旧西ドイツ経済相のエアハルトはその著書『社会市場経済の勝利』(L・エアハルト 菅良訳 時事通信社 S35.2.10)(54P)で次のように書き出し、朝鮮事変によりドイツ経済が立ち直った、と書いてる。
第3章 朝鮮危機とその克服 朝鮮事変がもたらした不穏と不安は、いちじるしい需要増加を生んだ。消費者の反応は平静であろうという万一の希望は、偽わりであることがわかった。
それに対し、十分な資本市場が欠除していたために投資の大部分が高くつき過ぎたとはいえ、通貨改革以来比較的多くの投資が行われていたことは、プラスの要素であったといえるであろう。この事件の道徳的評価と国民経済的判断は、おそらく完全に相反したものとなろう。
しかしながら、朝鮮事変の最初の5か月間に起こった需要増加のため、生産指数は6月の107.6から1950年11月の133.3に上昇したことを想起すべきである。
同時にしかし、工業用基本資材の価格指数(1938年=100)は218から265に、工業生産者価格指数は178から195に上昇した。この嵐のような上昇傾向にもかかわらず、ドイツにおける価格上昇は生産の驚くべき弾力性のおかげで、他の西欧諸国よりも弱かった。(以下略)
ゆたかになった日本ではこれから社会主義経済に移行するということは考えられない。民主党が政権をとっても経済システムはあまり変わらない、と国民は思っている。
アメリカとの関係が少し変わるかな、と思っても、これ以外に外交政策は考えられない。となれば、どの政党が政権を取っても日本の社会はあまり変わらないだろうと、国民は思っている。
総選挙での投票率が低いことを嘆く人も多いが、このように考えていくと、それだけ日本の進路は安定している、ということになる。
日米安保路線か社会主義国との友好重視路線か、と言った論争は過去のものとなった。経済政策も高度成長か安定成長かと言う論争も起きないだろう。格差問題も自民党が意識的に格差拡大路線を主張しているわけではない。
有権者にとって政策の違いは小さく、分かりにくくなっている。総選挙で自分の1票がどれほど日本の将来を変えるか、となると、「あまり変わらないだろう」と思うことになる。
そのようなことを考えながら、小沢一郎著『日本改造計画』のまえがき、の部分を読んで頂きましょう。
<グランド・キャニオンの転落防止柵>
米国アリゾナ州北部に有名なグランド・キャニオンがある。コロラド川がコロラド高原を刻んでつくった大峡谷で、深さは1200メートルである。
日本で最も高いビル、横浜のランドマークタワーは、70階、296メートルだから、その4つ分の高さに相当する。
ある日、私は現地へ行ってみた。そして、驚いた。
国立公演の観光地で、多くの人々が訪れるにもかかわらず、転落を防ぐ柵が見当たらないのである。しかも、大きく突きだした岩の先端には若い男女がすわり、戯れている。
私はあたりを見回してみた。注意をうながす人がいないばかりか、立札すら見当たらない。日本だったら柵が施され、「立入禁止」などの立札があちらこちらに立てられているはずであり、公園の管理人がとんできて注意するだろう。
私は想像してみた。
もし日本の観光地がこのような状態で、事故が起きたとそたら、どうなるだろうか。おそらく、その観光地の管理責任者は、新聞やテレビで囂々たる非難を浴びるだろう。
観光客が来るのに、なぜ柵をつくらなかったか、なぜ管理人を置かないのか、なぜ立札を立てないのか──。だから日本の公園管理当局は、前もって、ありとあらゆる事故防止策を講ずる。
いってみれば、行動規制である。観光客は、その規制に従ってさえいれば安全だというわけである。
大の大人が、レジャーという最も私的で自由な行動についてさえ、当局に安全を守ってもらい、それを当然視している。
これに対して、アメリカでは、自分の安全は自分の責任で守っているわけである。
この状況は事故防止の話だけではない。社会全体にいえる。
たとえば、バブル経済の時代、「経済一流、政治二流」ということばが流行語になった。政治の世界に籍を置く者として、内心忸怩(じくじ)たるものがあった。
確かに、日本企業が世界に破竹の勢いで進出していた半面、政界はリーダーシップが不在で、混迷していたからだ。
しかし、バブル経済が弾けたいまはどうか。一流のはずの経済が、三流のはずの政治に、救いを求めてきている。
戦後の日本企業は、正確にいえば明治時代からだが、護送船団方式に象徴される政府の保護・管理政策によって成長してきた。
互いに競争することはあっても、それは、自由競争ではなく、制限された土俵内での競い合いにすぎなかった。そこには、自己責任の原則は貫かれていない。
「一流の経済」が自分ではバブルの後始末もできず、「三流の政治」に救済を求める理由は、そこにある。しかも、その救済策は保護・管理の拡大にほかならない。
なぜ、日本の社会は、このように規制を求める社会なのか。
断っておくが、私は、規制を求める社会が間違っている、というのではない。社会のあり方の問題としては、正しいとか間違いとかいうものはない。
日本には日本の歴史と伝統に基づく社会のあり方がある。日本人が規制を求めるのは、日本社会の特性に原因がある。
日本の社会は、多数決ではなく全会一致を尊ぶ社会である。全員が賛成して事が決まる。逆にいえば、1人でも反対があれば、事が決まらない。
こういう社会であくまでも自分の意見を主張するとどうなるか。事が決められず、社会は混乱してしまう。社会の混乱を防ぐには、個人の意見は差し控え、全体の空気に同調しなければならない。
同調しない者は村八分にして抑えつけられる。その代わり、個人の生活や安全はムラ全体が保障する。社会は個人を規制し、規制に従う個人は生活と安全が保証される、という関係だった。
個人は、集団への自己埋没の代償として、生活と安全を集団から保証されてきたといえる。それが、いわば、日本型民主主義の社会なのである。
そこには、自己責任の考え方は成立する余地がなかった。日本で社会と個人のこういう関係が成り立ってきたのは、一部の例外を除いて外部との交渉の歴史を持たない同質社会だったからだ。
その社会を変革しようとしたのが明治時代だった。この時代には、日本は初めて海外に門戸を開いた。欧米型の民主主義の理念も初めて導入した。
しかし、大正から昭和に入るや、政党政治の終焉と軍部の台頭という流れの中で、日本は再び同質社会特有の独善的な発想に陥った。この傾向は敗戦後も、冷戦構造の下で温存され、今日に至った。
しかし、いまや時代は変わった。日本型民主主義では内外の変化に対応できなくなった。いまさら鎖国はできない以上、政治、経済、社会のあり方や国民の意識を変革し、世界に通用するものにしなけでばならない。
その理由の第1は、冷戦構造のように、自国の経済発展のみに腐心していられなくなった。政治は、経済発展のもたらした財の分け前だけを考えていれば良い時代ではない。
世界全体の経済や平和を視野に入れながら、激変する自体に機敏に対応しなければならない。世界の経済大国になってしまったわが国の責任は、日本人が考えている以上に大きい。
第2は、日本社会そのものが国際社会化しつつある。多くの日本人が国際社会に進出し、多くの外国人が日本社会に入って来ている。
もはや、日本社会は、日本型民主主義の前提である同質社会ではなくなりつつある。
どのように変革するか。
第1に、政治のリーダーシップを確立することである。それにより、政策決定の過程を明確にし、誰が責任を持ち、何を考え、どういう方向を目指してしるのかを国内外に示す義務がある。
第2に、地方分権である。国家全体として必要不可欠な権限以外はすべて地方に移し、地方の自主性を尊重する。
第3に、規制の撤廃である。経済活動や社会活動は最低限度のルールを設けるにとどめ、基本的に自由にする。
これら3つの改革の根底にある、究極の目標は、個人の自立である。すなわち真の民主主義の確立である。
個人の自立がなければ、真に自由な民主主義社会は生まれない。国家として自立することもできないのである。
人々はいまだ「グランド・キャニオン」周辺に柵をつくり、立入禁止の立て札を立てるよう当局に要求する。自ら規制を求め、自由を放棄する。そして、地方は国に依存し、国は責任を持ってリードする者がいない。
真に自由で民主的な社会を形成し、国家として自立するには、個人の自立をはからなければならない。その意味では、国民の”意識改革”こそげ、現在の日本にとって最も重要な課題といえる。
そのためには、まず「グランドキャニオン」から柵を取り払い、個人に自己責任の自覚を求めることである。また、地方に権限を移すことによって、地方の自立をうながすことである。
さらに、政治のリーダーシップを確立することで、政治家に政治に対する責任を求め、中央の役人には、日常の細かな許認可事務から解放することで、より創造的な、国家レベルの行政を求める。
これらによってはじめて、個人は組織の駒としてではなく、自由な個人として自己を確立していく。自己の確立、民主主義の確立が進めば、さらに改革は進であろう。
本書は、そういう祈りにも似た気持ちで書き下ろした。
本書をまとめるにあたっては、大勢の各方面の専門家のい方々から2年間にわたって協力をいただいた。混迷する現在の政治状況において、改革の指針となれば、この上もない喜びである。
平成5年5月 小沢一郎
<『日本改造計画』まえがき から >
(T注)小沢一郎
平成2年2月〜平成3年4月 自民党幹事長。 平成5年6月〜平成6年11月 新生党代表幹事
「ベースマネーの増減が原因で、マネーサプライが増減する」との神話に基づいて書かれている書籍は
▲<主な参考文献>▲ を参照のこと。
「準備預金制度における準備率」を10%として説明している教科書は
▲<主な参考文献・引用文献>▲ を参照のこと。
これからの経済を考えるとき、今までの理論を見直すとき、「発展途上社会の経済学から、ゆたかな社会の経済学へ」という捉え方が必要だと思う。ここでは、財政政策・金融政策について考えてみた。
経済成長とか規制緩和とかを考える場合も「発展途上社会の経済学から、ゆたかな社会の経済学へ」という見方が必要になるだろうと思う。
それは、生産量が消費量を決めるという「セイの法則」から、総需要が消費量を決めるという「ケインズの有効需要の原理」への発想の転換が必要なのだと思う。
そして、経済学の教科書の初めの方に出てくる「限界効用」との発想も忘れてはならない。
◎ ある政治家の一般イメージがマスコミによっていったんつくられてしまうと、それを拭い去るのはほとんど不可能である。
経歴のあらゆる段階で、そのイメージが彼と一般国民の間に介在し、人々は実際の彼自身を見たり彼の言うことを聞いたりするのではなく、つくられた人格だけしか見たり聞いたりしないのだ。
私の一般イメージは、おしなべて悪いものではなかった。「鉄の女」「戦うマギー」「めんどりアッティラ」[アッティラは5世紀のヨーロッパに侵入したフン族の王]などなど。
これらは総じて、私がたやすく負けない人間であるという印象を政敵に与えたから、このような呼び名を奉られたことは喜ばしかった。
本当の人間がこんなにタフ一方であることはほとんどないのだが。だが、困った面もあった。ヨーロッパ問題が話題にばると必ず、私は狭量な、昔を懐かしむナショナリストとして描写されたのだ。
ヨーロッパの合理的な近代性の太陽が光を投げかけているときに、イギリスの旧体制の封建的な虚飾がハヴィシャム嬢のウェディングケーキのようにほこりの中に崩れるのを見るに耐えられないナショナリストだというのだ。
私は、”孤立化し””後ろ向きで””過去に根ざしており””難破した帝国にしがみついており””主権に関する時代遅れの認識に執着している”などと言われた。
そして、ヨーロッパに関する私の言説はすべて、このような光を当てられて読まれたのである。
実際のところ、ヨーロッパ連邦主義に関して私が抱く懐疑には3つの基本的な理由があるが、もっとも重要な理由は、欧州連合(EU)は実のある国際主義にとって障害であるということだ
(後の2つのうちの1つは、イギリスはしっかりした、”満ち足りた”ナショナリズムが国際協力の最善の基礎であることを示したこと、最後の1つは、この章の別のところで論じるように、言語の多様性が民主的論議と民主的責任をたんなるスローガンにしてしまう連邦制超国家では、
民主主義は機能し得ないということである)。
ヨーロッパ連邦主義者は、実際は、”偏狭な国際主義””小さなヨーロッパ人”であり、より大きな国際共同体よりも欧州共同体の利益を一貫して優先させる人たちである。
EUはGATT(関税貿易一般協定)をボイコットする一歩手前までいった。大西洋越に一連の貿易紛争を引き起こした。幼稚な輸出産業を保護するために、ばかげた高関税を維持することにより、中・東欧の不安定性を長引かせた。
「ヨーロッパの柱」あるいは「ヨーロッパ防衛の主体性」を確立するという、時期尚早で軍事的に理解不能の計画で北大西洋条約機構(NATO)を分裂させそうになっている。
そして、こうした問題のある行動のほとんどは、それぞれ個別に見ていても意味をなさない。それらは、”ヨーロッパ”が自らの国旗、国家、議会、政府、通貨、そして最終的な想定として国民をもつ、本格的な国家になる日を早めようという目的のためにのみ展開されているのである。
これがアメリカと日本の双方に、同じように保護貿易主義的な帝国を築くことによって自分自身を守ろうとさせかねないことを警告したのは、私だけではなかった。
そうなれば、世界はオーウェル流の[イギリスの作家ジョージ・オーウェルの『1984年』に出てくる]未来──オセアニア、ユーレイシア(ユーラシア)、イースティシア(イースタシア)という互いに対立を深める3つの重商主義的世界帝国──に向かって漂流し始めるかも知れない。
そのような流れの中では、有益な役割を果たしてきたNATOやGATTのような戦後の国際組織は弱体化し、脇に追いやられ、ついには意味を失ってしまうだろう。
こうした見通しはまだ消えておらず、われわれに懸念を起こさせている。
しかし、もっと遠い21世紀の終わりにまで目をやると、(もっと不安定であるがゆえに)もっと驚くべき未来が手の中にある。
現在、自由経済革命の端緒につこうとしている世界の多数の中位国、大国のことを考えてほしい。インド、中国、ブラジル、そしてたぶんロシアなどである。
これに現在の経済大国であるアメリカ、日本、欧州連合(あるいは、仏独の”高速路線”同盟というシナリオに若干の修正を施したもの)を付け加えてみてほしい。
おそらく2095年に出現している状況は、6つ以上の”大国”が存在し、それぞれが従属国をもち、それぞれが自分1人では危なっかしいが、適切な同盟を形成すれば自分の力と影響力を増大させることができ、いやおうなしにそれぞれが自らの相対的位置を向上させようと絶えず外向的な行動に出るという不安定な世界であろう。
別の言い方をすれば、2095年は、1914年[第1次世界大戦の始まった年]がもうすこし大きな舞台で再現されるようなものと見えるかも知れない。
オーウェル流の戦利品の3者分割か、それとも1914年の再来というこの想定か、どちらの悪夢にしても、それを回避するカギは同じである。
根本的には、アメリカを支配的な力とし、自分の長期的利益のために総じてアメリカの指導に従う同盟国に囲まれている大西洋同盟が維持されるなら、どちらの悪夢も起こらなくて済むだろう。
人口、資源、技術、資本の現実をふまえれば、統一された西側世界でアメリカが支配的な力をもち続ける限り、西側世界は世界全体における支配的なちからとして続くことが可能だろう。
そして、集団安全保障は、最後に頼りになる超大国がいてはじめて本当の意味でもたらされるのであるから、世界各国は(「無法国家」やテロリスト集団を除けば)、一般的にこのような国際政治構造を支持するだろうし、少なくとも黙認するだろう。
私が思うに、このような構造におけるイギリスの役割は、国力に不相応な大きい影響力をもつものだろう。しかし、私がこの構造を支持するのは、それが理由ではない。それは、そのような世界こそが国際平和と集団的繁栄を達成するのに必要な事項をもっともよく満たすからなのである。
それは、政治的、経済的、そして文化的に自由な世界であり、アジアあるいはユーラシア・ブロック──歴史を通じて、あるいは近年のその業績がすばらしいものであるにしても──に支配されるよりも、はるかに自由度が高いだろう。
しかし、再度強調したいのは、アメリカが軍事的、経済的にヨーロッパにおける支配的な力として留まる気がなければ、こうしたことは実現しないだろうということである。
ということは、われわれはアメリカ軍が当面の間ヨーロッパに留まることを確実にしなければならない。予算の制約によりアメリカが撤退を考える誘惑が高まるここ数年が特に重要である。
こうした状況のもとでは、EU内に忍び寄っている、自分たちを別個の”第3の力”として確立したいという傾向は、アメリカを遠ざけ、アメリカ軍を本国に帰還させてしまう危険をともなう。その賭け金は大きい。
そして7つか8つの独立した超大国のなかの1つとして、ヨーロッパの地位が少しばかり上がるかも知れないということのために、西側世界を分裂させ、世界の永続的な不安定に向かうのは、もっとも有害で、無責任な形のナショナリズムのように私には思える。
(『サッチャー 私の半生』から)
フランスやイギリス、アメリカは「とにかく戦争はイヤだ」と、これらの暴走をけん制せず、日独伊はそれを良いことに、「鬼の居ぬ間に洗濯」とばかり、軍事力により独自の経済ブロックを作っていった。これが第2次世界大戦勃発のきっかけになった。
▲日本の安全保障 軍事不介入の政治経済学
▲自給自足の神話 それは文明発祥と同時に神話になった
▲日本を大東亜戦争に追い込んだ保護貿易 自給自足を目指す ブロック経済 と呼ばれる地産地消
こうした反省からGATTができ、自由貿易を保証する制度ができあがった。サッチャーはEUが経済ブロックを強化することによって、こうしたブロック間の勢力争いを引き起こす、と警告している。
それは、ジョージ・オーウェルが『1984年』で警告している、と指摘している。
『ドイツ経済の奇跡』 エアハルト 有沢広巳訳 時事通信社 1954. 2.15
『社会的市場経済の勝利』 エアハルト 有沢広巳訳 時事通信社 1960. 2.10
『日本改造計画』 小沢一郎 講談社 1993. 5.20
『サッチャー私の半生』(下) マーガレット・サッチャー 石塚雅彦訳 日本経済新聞社 1995. 8. 1
『1984年』世界SF全集10 G・オーウェル 新庄哲夫訳 早川書房 1968.10.31